切実さについて考えたり

今日はいろいろ嫌なことがありました。月曜日はなんかみんなイライラしてる気がするなー。自分が気を遣っているのと同じくらい、相手にも自分に気を遣ってほしいと1年に数回ですが思います。多分それはすごく間違った考えなんだろうけれど、そう思わずにいられない日もあるよね。心の中で思うくらいはいいかーと今日は自分にそれを許しています。わたしは多分傷つきやすすぎるんだと思う。みんなはもっとつらいことを我慢しているのかもしれない。わたしはいろんな面でとても恵まれているから、ある程度のことでは傷つかないってみんな思うのかもしれない。でも、傷ついちゃうんだよね。根性がないから。明日からはまた頑張るけど。頑張れるって普通に思えるのは、頑張れば大丈夫ってわかっているのは、多分すごく幸せな事なんだよね。もう少し、その幸せに感謝しつつ、一歩一歩いろんなことを大事にしながら進まなくてはいけないんだと思います。

 「となり町戦争」「バスジャック」三崎亜記
を読みました。面白くなかったです。ダンナが言葉を濁していた理由がわかった。ケンカする前に読めばよかった。あらすじだけ聞いた方が面白いのではないか、と感じる内容だった、と言ったら言い過ぎかなあ。淡々とした文章の連なりが、わたしには耐えられなかった。わざとそういうふうにしてるんでしょうけどね。好みの問題なんでしょうが、わたしはもっと切実な感じのするものが好き。それはなんというか、ストーリーの切実さというのではなくて、作者その人にとっての切実さがにじみ出ているような文章が好きなんだと思う。うまく言えませんが。「となり町戦争」は最後まで読みませんでした。

 「いま、会いに行きます」市川拓司
をその後すぐ読みました。これはね、面白かったです。「世界の中心で愛を叫ぶ」みたいなやつかなーという先入観があったんだけど、全然違った。「世界の・・・」は好きじゃないんです。理由は上↑に書いたのと同じなの。なんか切実さが感じられなくて。
 この本はねー、過剰なほど切実なの。「僕は、平均的な人間からいろんなものを差し引いた残りでできている」っていう表現に打たれました。作品世界が自分にとって好きとか嫌いとかいう以前に、その切実さに打たれる物がありました。文章が、とても読みやすいです。余計なことを言ってなくて、飾りがなくて、生まれたばかりの鳥のひなみたいな、弱々しいけど純粋な命を感じる文章だと思いました。
 この本はベストセラーになってたくさんの人に読まれたんだろうけど、読者の男女比が知りたいです。わたしは、この本は男の人のためのものなんじゃないかなーって感じがした。わたしは絶えず母親としての気持ちでちょっと斜め方向から読んでいたような気がする。男の人はこの小説を読んでどう感じるのか、知りたいけれど、多分知らずに済ませた方が身のためなのだろう、と思います。